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宇多須山城
所在地: 石川県金沢市東御影町
標高:101m
比高:87m
城域:不詳
うたすやまじょう
城史
応永二年/正平二十四年(1395)十二月、得江八郎次郎季員(註1)申軍忠状に「今年九月七日御敵攻寄宮腰之間、同九日当所御発向之時御共仕候処、兇徒即引退大野宿畢。同十二日夜御敵分没落大野宿、取陣宇多須山之間、同十五日被責落彼城」とある。季員の軍忠状によれば、四月二十八日から六月一日まで能登部城で吉見頼顕(註2)に属して戦い、八月には吉見三河守氏頼(註3)の下向を迎えて、桃井中務少輔直和(註4)の軍と野々市・平岡野・宮腰(金石)・大野・宇多須山・松根で戦い、ついで越中に転戦した。
また、津田鳳卿の『梧崗文稿』では宇多須の古塁は上杉謙信の陣営で、俗に茶磨山と呼んだ、としている。
卯辰山に比定されるが、宇多須山城が卯辰山のどこに所在したかについては不明な点が多く確定はしていない。『日本城郭大系7』では卯辰山天満宮と豊国神社が並び鎮座する通称鳶ヶ峰と呼ばれる平坦地に比定している。
註釈
1)能登国羽咋郡志雄保(現在の宝達志水町子子浦周辺)の領主。
2)北朝方。能登守護であった吉見氏の一族。
3)北朝方。能登守護であった吉見氏の一族。
4)南朝方。越中守護桃井直常の嫡男。
参考文献
平野聖 『日本城郭大系7』 1980
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