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​​神足城

​​こうたりじょう

所在地: 京都府長岡京市東神足2
標高:17.8m
比高:0m
城域:80m×140m

​​城史

西岡衆の一人である神足氏の居城。神足氏の所見は、建武四年(1337)の「山城国御家人神足左近次郎信朝」の名が見える。神足周辺は小塩庄であり、小塩庄は九条家の庄園であったことから神足氏は小塩庄の下司職を世襲していた。
永正元年(1504)に神足友春が神足城を築いたされるが、同年九月に摂津守護代の薬師寺元一が細川政元を廃して澄元を擁立しようと反旗を翻した際に政元は元一の本拠である淀城と神足城を攻めたことから、元々あった館を友春が元一の謀反に応じて館を城に改修したと考慮できる。
その後神足氏は没落し、代わりに小塩庄には香西元能が入るが、元能は小塩庄の年貢を横領した、永正二年(1505)には九条政基が小塩庄へ下向し、元能と交渉した。その際の記録である、『九条家文書』には、堀で囲まれた城館が描かれ、「城神足入口」の記入がある。元亀二年(1571)に細川藤孝が勝龍寺城を改修する際に、神足城は勝龍寺城に取り込まれてしまった。
現在の神足神社周辺に比定され、神足神社土塁の南側に、16世紀前半の遺物が投棄された包含層が厚く堆積する部分があり、これが神足城に関連するものだと推測される。

​参考文献

京都府教育委員会 『京都府中世城館跡調査報告書3』 2014
中井均・仁木宏 『京都乙訓・西岡の戦国時代と物集女氏』 図書出版文理閣 2005

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